10月9日は本年度の清酒の仕込みがスタートする「蔵入り」という日です。
酒蔵にとっては少々意味深い日なのであります。
そんな今日、我が小鼓の八島杜氏と奈良の三輪明神、京都の松尾大社にて祈祷をしていただきました。
本殿での祈祷が終わり、三輪明神の敷地内にある全国でもこちらだけといわれる“杜氏の神様”である活日神社(いくび神社)にお参りしました。
本日から始まる、蔵での酒造りの安全と仕込みが上手くいきますようにと祈ったのであります。
見た感じ小さくおまつりされていますが、神聖で厳かな感覚にとらわれました。
蔵ではキリッとしたすがすがしい緊張感が漂っています。
11月の後半になると、いよいよ新酒がしぼられてまいります。
そのしぼりに合わせて新企画「その朝しぼったままのお酒」がスタートします。
このお酒は今までの常識を覆し、全ての流通をカット、しぼった翌日にはお客様のお手元に届けるというこれ以上ない「新鮮さ」をお届けする方法です。お手元に最高の「鮮酒」をおとどけいたします。
総務部員Iです。
本日は早朝より、仕込み風景をカメラに納める為、出勤したのですが、
すんごい霧が立ち込めてました。
クルマを運転するのがホント怖いほどでした。
そん中、蔵に到着しまして、絶妙のショットを撮る事ができました。
蔵の窓から蒸気が立ち上がっております、モウモウモウと。
これは、酒米を蒸す “甑(こしき)”から蒸気が立ちあがるのですが、
それが蔵の窓から立ち上がっている図です。
しんしんと冷えた空気に揚がる蒸気は、これまた風情があって良いものです。
このほど、弊蔵:㈱西山酒造場の主屋を含む建築群3点が、国の登録有形文化財に登録されました。
丹波市では2件目となります。
登録されたのは、主屋、堀、離れ:三三庵(ささあん)の3つの建造物です。
主屋は、瓦ぶき木造二階建てで、1891年(明治24年)頃の建築のものになります。
江戸中期の丹波地域の特徴的な住宅様式を伝えており、現在は店舗兼住宅となっております。
通りに面しており、
「主屋二階は、軒下に瓦庇および虫籠格子を取り付け、重厚な外観を見せ、左右に延びる塀と共に町並み景観形成に寄与している。」
と評価いただきました。
又、離れの三三庵(ささあん)は、木造平屋建てで、洋間を持つ数奇屋風建築物です。
1941年(昭和16年)に大阪の著名な建築家:赤松修氏が設計しました。
昭和初期の和洋折衷住宅の流れを踏まえ、和室と洋間が機能的に配置されており、モダンな雰囲気をたたえています。
弊蔵の屋号『小鼓』は、俳人:高浜虚子にその名を受けたのですが、以来、門下・画人が集う文化サロンとなっており、主屋などは、その舞台となっておりました。
現在は、住宅となっておりますが、実際に使っている生活の場が文化財に認められたことは大変ありがたいことと思います。
又、離れ:三三庵(ささあん)は、伝統の上に新しい創意を加味して作られており、
『小鼓』が
「古くからの手造り・小仕込での酒造りを継承する中、斬新なボトルやラベルと融合させて新しい酒文化を提唱する」
とする精神に脈々と受け継がれております。
総務部員Iです。
最近めっきり日が落ちるのが早いですね。
都会に住んでいるときにはほとんど感じることも無かったのですが、山間に住むとめためた感じます。
ちなみに今は夕方の5時半だと真っ暗です。
さてさて丹波の秋の紅葉なのですが、???
・・・えっ・・・
青々と葉がしております。
通常、11月も半ばになると紅葉がきれいに見え出すのですが、その兆しすら見えず・・・
どうなってるんでしょう?
確かに京都も紅葉しておらず、亀岡から嵐山まで船で下る、【保津川下り】も全然紅葉が見えんで困ってるような話は聞きました。
っにしてもちと遅すぎる気がしますね。
今年は秋が無く、いきなり冬が来るようなことを天気予報で言ってましたし、確かに先週末は一気に冬を感じましたが、見るだけで気持ちが良い紅葉は見たいーーー!
総務部員Iです。
今回は、小鼓と高浜虚子先生との関係をお話したいと思います。
今の社長で弊蔵は“5代目”なのですが、その先々代の“3代目”に西山泊雲がおりました。
この泊雲は、俳句に傾倒しており、非常に虚子先生とも親交が深かったのです。
以下泊雲の下りです。
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西山泊雲は(本名:亮三)は、明治10年4月3日 丹波市(旧・氷上郡)市島町の西山酒造場の長男として生まれました。
俳句に傾倒するに至ったのは、泊雲弟でホトトギスの俳人でもあった野村泊月の影響でした。
明治36年に泊月の紹介で高浜虚子に会い、俳句に没頭し、遂には弟の泊月と並び「丹波二泊」と称されるまでになりました。
家業の酒蔵は、大正4年に、虚子が 「ここに美酒あり 名づけて小鼓といふ」 と銘々して、平福百穂の揮毛レッテルでホトトギスの発行所を通じて全国に売り出し、以来文人・歌人に親しまれるようになりました。
その後も泊雲は虚子に指導を仰ぎ、家業を疎かにすることなく俳句の道に没頭し 昭和19年9月15日68歳で亡くなりました。
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上記にあるように『小鼓』は、高浜虚子先生が名づけられました。
写真は、虚子先生の直筆です。
残念ながら詠んだ俳句の直筆はありません。これがあればなぁ・・・